fuyu

表玄関はその家の主とお客様専用だった。
早く大きくなってこの玄関を使ってみたいと思っていた。
裏門から入るとすぐに裏庭に続く。
そこからは家の者が好きなように使っていた。

縁側で遊ぶのは、お人形さんの服を縫ったり、ミニチュアの部屋作りだった。
おばあちゃんは畑の仕事のない日は縁側で縫い物をする。
お裁縫箱とこまい切れ端が私は好きだった。
留袖、友禅、袴などの端切れを見るのが楽しみだった。

おばあちゃんは端切れを水にひたしてから洗い張りの板に張った。
そうすると新品のような端切れになる。
布がぴーんと張っているから四つ折りにして、
折り目を上に一枚、一枚縦にならべて箱に納めていた。

気がついたら私はその端切れを使っていろいろなものを作った。
ある日、紙のようにしわしわになった布があった。

「こんなボロの布なんか捨ててしまう」

おばあちゃんはそのボロの布を水にひたした。
そして、洗い張りに張り付けた。

天然の繭からつくった布で薄い緑色をしていた。
「これはね。この色の繭から作った絹の生地。少したったらきれいな布になるよ」と言った。

夕方になって洗い張りに張っていた生地をはがした。
あのしわしわで紐のようになっていた布が新品になっていた。
西陽を背にして両手で高く揚げた布がとてもきれいだった。

「ボロの布なんてないの。少し手入れをすればみんなきれいになるの。心を込めるとね」と言った。

こんな服は恥ずかしいは、こんな服にした自分が恥ずかしいのよ。
こんなお弁当はみっともないを、少し手入れをすれば生まれ変わる。

「恥ずかしいは、そのものではなく手入れをしていない自分が恥ずかしのです。」

おばあちゃんはいつもそう言って、ボロを新品に変えていた。
台所のふきんは夜のうちに伸ばして張っておくと翌朝は糊をつけたきれいなふきんになっている。
学校のハンカチも、アイロンを使わずガラスやテーブルを使って張っておく。

「気持ちいいは朝一番の空気が張っているようなものや。」
おばあちゃんが目をほそめて笑う。
そして、「ほんまにしあわせを頂きました」とかならず言っていた。

おばあちゃんの口癖だ。

わたしは、そんなおばあちゃんの微笑みを「しわのなかのモナリザ」だと言っていた。

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台所にタイル模様のかまどが六つ並んでいた。
おばあちゃんはこの白地に水色のよこしま模様のタイルを磨き、お塩を置くと、
「一日を無事終わらせてくれてありがとうございました」と
両手をあわせてから部屋にもどる。
おばあちゃんの一日はここで終わる。

おばあちゃんはかまどの火をくべながら絵本を読んでくれた。
私は薪の匂いとかまどの口からちょろちょろと踊っている炎が好きだった。
炎の明かりは優しく絵本を照らしてくれた。外では秋の虫が鳴いていた。

「火の明かりは心の明かりでもあるんのよ。
火を見ていると心を空っぽにしてくれる。
昔の女の人は哀しいこと、悔しいこと、苦しいことを誰にも言えなかった。
でもありがたいことに、かまどがあった。
かまどの火をくべていると、暖かい気持ちになれたのよ」とおばあちゃんは言った。

夕方になると絵本をかかえてかまどでまっている。
ぱちぱち薪が音を立てて燃える。
心がうきうきする、誰も入ってこれないおばあちゃんと私の絵本は世界は最高だった。

そして、私の幸福感を一番感じさせてくれたのはクリスマスツリーだった。
おばあちゃんはツリーの下でローソクを立てる。
ミカンとお菓子おいて長い時間も私に本を読んでくれた。

世界児童文学全集だった。
難しいけれど、ミカンとお菓子おばあちゃんを長い時間独り占め出来た、
最高な時間だった。

かまどの火、ローソクの炎の明かりは、年月は経ってもわたしの心の中に燃え続けている。

 

 

 

 

aki

おばあちゃんは杉木立の落ち葉をかき集めていた。
たき火の中にサツマイモを入れて焼き芋を作ってくれた。

おばあちゃんのおいもさん焼きは格別だった。
「おいしい」と言うと
「元気な証拠。元気であればお水もおいしい。ありがたいね」と必ず言った。

「おばあちゃん、いつも働いているけど遊びたくないの」と聞くと、
「おばあちゃんはいつも遊んでいるよ。
落ち葉拾いも、焼き芋さんもみんな遊びなんや」と言った。

「遊び?働いているのと違うの」と聞くと、
「おばあちゃんの年になるとね身体が動かせることが嬉しいの。
有り難い、有り難いといつも感謝しています。
人が動けるということは、元気で生きている証なのよ。
そやから元気で有難うと言って楽しく働かせてもらうのです。」と言った。

「働くってお金をもらうことでしょう?」と言ったら、
「そうかしらね。いくらお金があっても病気になったらつまらんもんや。
働けば健康になる。お金はその後につくもんや」と言った。

おばあちゃんは元気のために働くのかと思った。

 

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「お蔵」の裏には大きな杉の木が何十本もあった。そのまた後ろは竹林だった。
竹林の小道を少し行くと広い空間があり、お日様の光を浴びて数えきれないお地蔵さまがあった。これが先祖のお墓だった。そこは杉の香りと竹林の風の音でとても心地よかった。

私はこの場所が好きだった。
友達との喧嘩で心が萎えているとき、叱られて悲しかったとき、
誤解された悔しさのとき、この場所で思いっきり叫んだ。
大きな声でおなかの中にたまっている感情を吐き出した。
不思議と心が落ち着いた。
あんなことくらいでどうして悔しかったのだろう。
もう気にしないでいよう。そんな気持ちになる。
心って本当に不思議。子ども心に思った。
感情の整理はこうして覚えた。
「露のようなものだから」これがおばあちゃんの口癖だったっけ・・・・・。

「悔しさも、悲しさも、苦しさも、怒りも本当は何にもないんやで、露のようなものや。
自分の心が作っているだけです。
心が暴れて自分ではどうにも抑えきれない時は大きな声をだして言ってごらん。
何でもいいの。悔しかったらくやしいってね。
そうするとめ~がぐるぐる回ってきます。からだがふらふらしてしまう。
身体の中を全部出してしまったら、心の中が空っぽになったからや。

目が回るくらいに悔しかったということがわかる。
反対に、そのくらいの悔しさがたまっていたと自分でもわかる。
そしたら、どんなこと考える。
あまり体にはよろしくないと考えないかしらね。
自分がかわいいから悔しさや、悲しさを感じる。
ただそれだけのことや。
そんなもんは時間がたつと露のように消えてしまっている。
心がもやもやしていたら大きな声で言って見なはれ。
もやもやの正体は露のようなものや」

朝日に浴びた露はいつの間にか消えていた。
あるけれどない。感情も同じだ。そんなもんかと思えば、心は軽くなった。

 

 

 

aki

「お蔵」の横にはサクラ、マツ、カエデなど四季の木があった。

池の周囲にはマツが囲んでいた。
離れの部屋には、摘んだお茶を乾燥させていた。
辺り一面お茶の香りが漂っていた。
といっても独特のアクの強い香りだった。
その部屋の廊下わきにカエデの木があった。

風に流されて樹木とお茶の香りがいっしょになって独特の薫りになる。
その香りは、何とも表現しがたい。その匂いが部屋一面に漂っていた。
私はここでお昼寝をするのが一番落ち着いた。

幼い頃、私は無理をしていた。
明るく元気で何事も気にしない子どもを演じていた。
そうしているとなぜか心が落ち着いたからだ。
でも毎日毎日、心に小さな疵をつけていた。
そんなとき、お昼寝は忘れさせてくれた。
おばあちゃんは私のお昼寝に付き合ってくれた。
大の字になってなんでも聞いた。

「サクラはいいな~。
きれいに咲いてみんなからきれいきれいといわれるもの。
マツはちっともきれいでない。
マツは木でよかったね。人間になったら嫌われるよね。」と言った。

すると、おばあちゃんは
「サクラも、マツも、そして、裏庭のカエデもよその木になろうと思っていない。
みんな自分が好きなのよ。

サクラはきれいな花を咲かせるために、秋になると一番はやく葉を落として準備をするの。
マツは自分の根元に枯れた葉を落として自分を守っている。
カエデは寂しい秋を彩るために真っ赤な葉になって心を楽しませてくれる。

努力して自分を大切にすると、みんなも大切にしてくれるもんや。
自分を嫌うと他人のことが羨ましくなる。
マツが自分を嫌ったらどうなると思う。
サクラになろうと自分の枝を切ってサクラの木を接ぎ木してもサクラにならない。
そうしているうちにマツは枯れてしまう。
人まねをしていたら自分が枯れてしまうのよ。
自分が一番だあ~い好きと思うこと。
そうしたら。立派な大人に慣れますよ。」と言った。

おばあちゃんは私に、サクラ、マツ、カエデの話を繰り返し話した。
いつからだろうか、気がついたら自分を好きになっていた。
失敗したと人は思っても、私は失敗だとは思わなかった。
「これが私」と思った。
くよくよしない考えはこの頃のおばあちゃんの話が生きる力になったのだと思う。
自分の子育てもこれが原点になった。
他人の子どもをうらやましがって真似していたら、サクラとマツの接ぎ木のようになってしまう。
人は人、自分は自分である。それだけでいいのだと思った。

今も、桜を、松を、そしてカエデをみると、おばあちゃんがそこにいた。
姿は見えないけれど、私にはおばあちゃんは見えていた。

aki

絵が好きだった。学校の代表で絵の大会に出場した。
自信はあった。
しかし結果は、入賞さえもしなかった。
惨めな思いで学校に戻った。
「絶対に入賞すると思ったんだが、残念だった」と先生は言った。

私からこれを無くしたらなにもない。
叱られても、ケンカしてもテストが零点でも私はへこたれなかったのは、
「絵の天才」という代名詞がわたしの劣等感を満たしてくれていた。
その「天才」がここで切り捨てられた。

その夜おばあちゃんに言った。
「あした学校に行くのは嫌だ。失敗した姿を見せたくない」
おばあちゃんは大声で笑った。

「失敗は悪いことではありません。
失敗をすると、自分の大事なものを失い、
他人に負けたとか、笑われるとか考えるけれど、それは大間違い。

失敗は自分の醜いところを直してくれるありがたい神様からのプレゼント。
うぬぼれ、自慢、横柄、そんな心をきれいに掃除してくれる。
 そして、自分に負けない強い心を作ってくだる。
だから、たくさん失敗して強い子になってくださいな」と言った。

そういって、部屋に放り投げた画材を丁寧に拾ってくれた。
おばあちゃんの背中がとても小さく、泣いているようだった。

「これからもいろいろなくやしいこと、辛いことがあるけれど、
嬉しい、楽しいはその辛い、苦しい心の中からうまれるのよ。」

おばあちゃんの傍らにすわった。それしかできなかった。

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跳び箱、縄跳びが得意な友達がいた。
その子に負けたくないと思った私は密かに練習をした。
でも、努力の割には進歩が見られない。

私は、おばあちゃんに
「いつもびりだった私に、かけっこはリズムやと言って教えてくれたでしょ。
今はかけっこは私が一番。今度も 跳び箱と縄跳びを一番になるにはどうしたらいい?
全部一番になりたいの」と言った。

おばあちゃんは「み~んなかいな。それはむずかしいことやね」と大声で笑った。

おばあちゃんは言った。
「誰に負けたくないの?
昔話にうさぎとカメがあるでしょ。
足の速いウサギがノロノロ、カメさんに負けたことや。
なぜ負けたのでしょうね。

それはね、ウサギはいつもカメさんを相手にしていたからや。
ウサギは自分の足が速いことを知っていた。
足の遅いカメが相手だと、もう勝つことはわかっていた。
だから安心してお昼寝してしまった。これが油断やねぇ。

反対にカメさんの相手はうさぎではなかった。自分だったのね。
自分が頂上に登りたいから足の速いウサギさんであっても何とも思わなかった。
ウサギさんがお昼寝をしていてもかまわんかった。
カメさんは一番になったとか、相手に勝ったというよりも、
自分の意志を貫いたことに満足したんだとおばあちゃんは思うのよ。

あなたもカメさんのようになってほしい。
楽しいな、嬉しいなと感じる心はそこから生まれるのよ。
あなたがいつも嬉しい気持ち、楽しい気持ちで過ごしたかったら、
他人を意識しないことです。
そうしたら、自分が本当にしたいことが何なのかわかります。
本当にしたいことが分かれば、それをしていることだけで嬉しいと思います。」

「・・・・・・・」

「あなたは誰に 負たくないの?」

「・・・・・・・」わたしは何もいえなかった。

おばあちゃんの話を聞いて、カメさんのようになりたいと思った。

おばちゃんは笑いながら、
「さあ、おやつを食べましょ。きっとおいしいはずや」
と言った。

 急にお腹がすいてきた。「今日のおやつはなに?」

「かめさんの心」おばちゃんは言った。

 

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「お蔵」の扉が動いている。

「おばあちゃん、扉が動いている」おばあちゃんを呼んだ。
「心配せんでも大丈夫。きっと隙間にヘビさんがおるのでしょう」と言った。 

私は驚いた。大人の力で開く重い扉。
それを隙間に入れるくらいの小さなヘビが動かしている。
ヘビにそんな力があるとは思わなかった。

じーっと見ていると、本当にゆっくり、ゆ~く~り動いている。
ヘビが嫌いな私はおばあちゃんを置いたまま外に飛び出した。

しばらくすると重箱を抱えておばあちゃんが戻ってきた。
おばあちゃんは笑いながら、
「こまいヘビでも少しずつ、少しずつの力はとてつもない力になるの」

それから、おばあちゃんはこんな話をしてくれた。
物を動かす力も、人の心を動かす力も、すべて力は少しづつ貯める、続ける中で作られる。
蟻が大きなものを運ぶのも、少しづつ、少しづつ貯めて、そして続ける。
決してあきらめないから、大きな力となって成し遂げているのです。
それは誰もができること。簡単なこと。それが誰もできないのは、なぜでしょう。

今もって、はっきりと言えないけれど、
なにかあると、おばあちゃんの言葉を思い出して、やってみた。
続ける、貯める、諦めない。そうして、一つ一つ実現できた。
それは、確かなことだった。

  

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教室のカーテン洗いをひとりで全部を引き受けてしまった。
母は怒った。
洗いきれない量の多さに悲鳴を上げた。

おばあちゃんは
「引き受けたからには洗うのが先。目が驚いているのよ。
怒っていてもなにもはかどらない」
と言って、石けんをつけてごしごし洗った。
厚手のカーテンは水につけると両手で持ち上げても思うようにあがらなかった。

先生に「あなたいい子ね」と褒められたくて手を挙げてしまった。
後悔はその時からはじまった。
母とおばあちゃんを見ていると胸が痛んだ。

夕方までかかった。
「おばあちゃん、ごめんね」と謝った。
おばあちゃんは「後悔は航海のはじまりや」と笑ってくれた。
後悔しなければ人は成長しない。
くよくよするよりまず一歩でも、先に先に進むことが大事だと教えてくれた。  

natu

朝早く馬小屋に行くと、おばあちゃんが藁を切って、馬の餌をつくっていた。
私は藁を二、三本引き抜くとそれを真ん中で折り、鉛筆代わりにして地面に絵を描いた。

ひと仕事終えたおばあちゃんが私の絵を見てこんな話をしてくれた。
「お馬さんのしっぽはさらさらしているやろ。
それはお尻に集まってくる蠅を追い払うためや。
牛は大きなおっぱいの周りに蠅が集まるから、
そこに届くようにしっぽははたきのようになっているのや。
お馬さんのようなさらさらしていては届かんやろ」

馬のしっぽを根元から何本の線をひいた。
本物の馬と見比べると同じだった。
おばあちゃん本物のしっぽになった」

すると、おばあちゃんは馬の脚と、牛の脚の違いを絵に描いて教えてくれた。
「重たい動物のひづめは割れている。牛はそうや。
でも馬は軽いから割れていないの。試してみなはれ。
身体全身を支えるときは指を思いっきり広げないと支えきれません」

机の上に両手を広げて身体全体を支えてみた。
なるほど、にぎった手では身体を支えるのはきつかった。
面白くなって図鑑を見た。首の長い動物は足も長い。
それでは首が短い動物は、やっぱり足は短かった。

「何でも意味があるのや。失敗にも意味がある。
人生無駄なことは何にもあらへん。こまいことでくよくよしたらあかん」

「長い目で物事を見なくてはいけません。
たとえ、そのときは失敗と思っても、その失敗は成功につながるための失敗かもしれないの。
得することを考えていたら間違えた道を歩いてしまう。
すべて、すべて意味があります!それだけは覚えておいてね」

それからというもの、成績が悪くてもこれにはきっと意味があると考えた。
人は恥ずかしくないのかしらと思っていたに違いない。
落ちこぼれの私がクラスの人気者であり、学級員に選ばれたのも、
明るい性格だったからに違いない。

「自分を嫌ってはいけない。失敗しても恥じてはいけない。みんな意味があるから」
と言ってくれたおばあちゃんの言葉を信じた。